予言

1.ハルマニアには神と宗教が存在する
ハルマたちは何か共通の目的を有しており、そこに向かって論理を構築しているフシがあります。中世~近代あたりの合理主義を彷彿とさせる思考態度です。
合理主義は演繹的に新しい知識を導出しますが、そのためには全ての推論の根本となる「最初の知識」が必要です。それは往々にして「神」でした。「最初に何かが有った」は「最初に何かがあった、それを神と呼ぼう」となり、「最初に神が有った」、そして「最初に神が有った。したがって現実は神が生み出したようになっている」、「現実は神が生み出したようになっている、したがって現実の中に神が生み出したようになっていないと思われる部分があれば、それは何らかのエラーが起きているということであり、修正しなければならない」へとすり替わっていきます。ハルマたちも同じように考えているかもしれません。

2.ハルマニアには数学者がいる

地上の敵を捜索したりとか、凧揚げしてるヴィータに目的を聞いたりとかすれば確かめられることじゃないかな

 

メギドラルには科学者がいますが、サタナキアやガギゾンたちが典型的にそうであるように、彼らの思考の姿勢は実験と観察を基本とします。
しかしながら、今のところハルマニアにはそうした姿勢があまり見られません。107の凧のシーンも、メギドであれば凧の根元に偵察を送るとか聞き込みを行うとかの観察や、あるいはちょっと風を起こしてみるなどして凧に刺激を与えてみるなどの実験を行い、その結果を待ってから凧が何のために揚げられているかを推論することでしょう。しかしハルマたちはそのようなことをせず、自分たちの頭の中だけで推論します。
このように実験も観察も行わなくても成立しうるのが数学です。数学は公理や定義から出発して新たな定理を導くわけですが、そのためには実験も観察も必要ありません。例えば三平方の定理を証明するのに必要なのは現実に存在する三角形ではなく、ユークリッド幾何学の公理と三角形の正確な定義です。ハルマたちにはきっとこうした思弁の世界のみで成り立つ科学が向いています。

3.ダーウィンが登場する
19世紀までのヨーロッパ的な合理主義に壊滅的打撃を与えたのがダーウィンの進化論です。進化論によれば、人間もサルも同じ起源から出現します。それはすなわち、人間の他の種に対する絶対性、ひいては理性の絶対性への懐疑を生じさせることとなります。ハルマたちの凝り固まった頭を解すにもこれくらいの衝撃が必要でしょう。
19世紀までの古い合理主義を終わらせた契機としてはもう一つ、文化人類学的知見の発達も挙げることができます。もしかしたらレヴィ=ストロースもメギド72に登場するかもしれません。

4.ハルマニアは社会主義である

カマエルたちは後戻りした存在である

 

上の宗教のことや、現実の社会主義が資本主義からの弁証法的発展として理論的に成立しているという歴史的事実と整合性がとれるかどうか、書いている本人からしても極めて微妙に思いますが、メギドラルとハルマニアを対比するのであれば十分にありうるだろうと思います
メギドラルは、極めて資本主義的な社会です。それも、新自由主義的な資本主義社会です。メギドラルでは、戦争でどれだけの功績を挙げたかが全てです。そして、メギドラルには公的な機関がほとんど存在しません。例えば現実世界における刑務所に相当する懲罰局でさえも、一つの軍団であるという点で競争の中にさらされています。猫軍団など中立の軍団はいますが、彼らは戦争による偏りの是正というよりも、むしろ戦争をより活性化させたり、戦争を正常かつ円滑に行うために存在しています。こうした点から、メギドラルは公的機関による調整機能を重視するケインズ主義ではなく、市場競争に全幅の信頼を置く新自由主義的な社会に強く類似した社会と言えます。ハルマニアがこれと正反対の社会であるならば、そこは市場競争を否定し、完璧なまでに平等性を追求する社会主義的な社会であるだろうというわけです。
平等性は、言葉を変えれば均質性です。また、先述した通り、社会主義理論は資本主義の克服を目指して成立したものなので、社会主義者にとっては社会主義的社会は資本主義的社会よりも進歩した社会です。10章におけるハルマたちの均質性や全体主義的思想、メギドたちを見下す態度の描写、カマエルが口にした「退化処理」というキーワードなどは、ハルマニアが社会主義であることを推定する材料となります。