「君たちはどう生きるか」におけるヨモツヘグイ規則の破壊について 雑感

・「君たちはどう生きるか」を観てきた。考えることの多い映画だったが、そのうちの一つ、というよりも、上手く飲み込めなかったことの一つに、作中におけるヨモツヘグイ描写がある。
・中盤以降、眞人たちがいたのははっきりと根の国、あるいは常世、幽世、彼岸、異界であった。そこで煮炊きしたものを眞人が口にすることは、彼が現世に帰還できなくなることを意味する。
・……というのが神話世界における基本ルールのはずなのだが、眞人は何の問題もなく現世に帰還している。一体なぜ?
宮崎駿がヨモツヘグイという一種のお約束を知らなかったとは考えられない。「千と千尋の神隠し」でも扱われたテーマだからである。
・「千と千尋の神隠し」の序盤で屋台の肉を食った千尋の両親が豚になっていた。あれがヨモツヘグイである。
・しかし、そういえば千尋も、トンネルの向こう側の食物を口にしていたはずなのに、豚になることなく、最終的に現世に帰還できている。
・このことについて、ある神話研究者の見解を載せているウェブサイトがあった。大変ありがたい。

ジブリを神話で読み解く!「千と千尋の神隠し」千尋はなぜ豚にならなかったのか | PicoN!

・この記事によれば、千尋とその両親におけるヨモツヘグイの結果の差異は、彼らの心性の差異に由来している。すなわち、神々や未知のものに対する畏敬の念があったために千尋は豚になることを免れ、畏敬の念がなかったために両親は豚になることを免れなかったのである。
・「千と千尋の神隠し」におけるヨモツヘグイの解釈としては、これで特に問題ないように思う。そのように解釈して矛盾が生じるように思われないからだ。一つのありうる解釈として十分に成り立つだろう。
・「良き心の持ち主には良き結果を、悪しき心の持ち主には悪しき結果を」というのも古典的な物語規則の一つである。例えば花咲爺、例えば舌切雀。「千と千尋の神隠し」においては日本神話におけるヨモツヘグイルールとこの心性ルールが融合しており、心性がまずチェックされ、さらにヨモツヘグイルールに引っかかった者がペナルティを受けるという規則になっていると見なすことができる、かもしれない。
・ただ、「君たちはどう生きるか」におけるヨモツヘグイをこれと同様の仕方で解釈するのは難しい。というのは、「君たちはどう生きるか」においては、「千と千尋の神隠し」における両親に相当する存在が、すなわち、「眞人は良き心の持ち主である」ということを示すために必要な比較対象が、存在しないからである。
・もう一つ、眞人がヨモツヘグイを行ったシーンは二回あったが、そのどちらにおいても、「眞人は良き心の持ち主である」ということを観客に知らしめるに足る描写はそれまでに無かったからである。あった?「眞人は良き心の持ち主である」ということがはっきりと示されるのは、眞人が自分の傷と誠実に向き合うシーン、つまり、物語の最後の最後になってからである。
・従って、「君たちはどう生きるか」におけるヨモツヘグイルールの破壊は、眞人の心性以外の要素で説明する必要がある。
・筆者は、一つの可能性として、清浄性、ないしは神聖性で説明できないかと思う。
・眞人が口にした食物は、どちらも人間、の姿をした異界の者によって煮炊きされたものである。この点が重要なのではないだろうか。
・ヒミの方が説明しやすい。彼女の部屋は、竈が入口になっている。竈は、境界の一つであり、神の住まう場所である。ヒミは、竈神と見なすことができる。
・キリコの方は、やや説明が苦しいが、彼女も、人間を守護する存在である。迷える眞人を導いたのもそうだし、眠る眞人を守っていた人形の持ち主もキリコである。
・人間を守護する者が作ったものは清浄なもの、神聖なものであると考えるのは、それほど不自然なことではないと思われる。
・そして清浄な食物であれば、現世の者が口にしても、異界に拘束されることはない……というルールが「君たちはどう生きるか」の世界にあるのであるとすれば、眞人が現世に帰還できたことに説明がつく。
・これも比較対象となる不浄な食物の描写があればより説得力をもって主張できたのだが、残念ながらそんなものはなかった。ただ、「君たちはどう生きるか」においては、先の心性ルールよりかは説得的ではないかと思う。
・この清浄性と神聖性の説明は、「千と千尋の神隠し」のヨモツヘグイルールの破壊にも適用できるかもしれない。人間を導き守る神であるハクが作ったおにぎりだったからこそ、千尋は豚になるのを免れたのだ、と。
・通常、異界はその全体が「不浄の場」として扱われる。そこは死の一色に染まった世界であり、生の入る余地のない世界、入ってはならない世界である。しかし、宮崎駿においてはそうではない。根の国常世、幽世、彼岸、異界は死の世界であると同時に新たな生が生じる場でもあり、そこに不浄と浄が混在しているのである。


・もう一つ、可能性として、あんまり楽しくない解釈なのだが、こういうのがあるかもしれない。最終盤、現世への帰還後、異界の物品を現世に持ち込もうとする眞人に対し、アオサギは「大した力を持っているものじゃないからまあいいだろう」と言う。つまり、「君たちはどう生きるか」の世界においては、現世と異界の境界侵犯については、そんなに厳格にチェックされるわけではなく、割と寛容なのである。眞人のヨモツヘグイも、許容される範囲のものだったのかもしれない。
(終)